スペイン内戦から現代へ
スペインはアフリカ分割では僅かな役割しか果たさず、西サハラとスペイン領モロッコ、赤道ギニアを獲得しただけだった。モロッコでのリフ戦争で大損害を出し、国王の権威は更に低下した。ミゲル・プリモ・デ・リベラ将軍の軍事独裁政権(1923年-1931年)を経て、1931年にアルフォンソ13世が国外脱出して君主制が崩壊し、スペイン第二共和政が成立した。共和国はバスク国、カタルーニャ州そしてガリシア州に自治権を与え、また女性参政権も認められた。
だが、左派と右派との対立は激しく政治は混迷を続け、1936年に人民戦線政府が成立すると軍部が反乱を起こしスペイン内戦が勃発する。3年に及ぶ内戦はナチスドイツとファシストイタリアの支援を受けたフランシスコ・フランコ将軍が率いるナショナリストが勝利した。この内戦によってスペインは甚大な物的人的損害を被り50万人が死亡、50万人が国を捨て、社会基盤が破壊され国力は疲弊しきってしまっていた。
フランコが結成したファランヘ党(1949年に国民運動に改称)の一党独裁となり、党は反共、カトリック主義、ナショナリズムを掲げた。第二次世界大戦ではフランコ政権は枢軸寄りではあったが中立を守った。
第二次世界大戦後、ファシズム体制のスペインは政治的、経済的に孤立し、1955年まで国際連合にも加入できなかった。だが、冷戦の進展とともにアメリカはイベリア半島への軍事プレゼンスの必要性からスペインに接近するようになり状況は緩和した。1960年代には「スペインの奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げている。
1975年にフランコ将軍が死去すると、その遺言により フアン・カルロス王子(アルフォンソ13世 の孫)が国王となり王政復古がなされた。フアン・カルロス国王は独裁体制を継続することなく1978年憲法が成立して民主化がなされ、スペインは立憲君主国家となった。1981年には軍政復帰を目論む一部軍人によるクーデターが発生したものの、軍部の大半は国王に忠誠を誓い、無血で鎮圧されている。
民主化されたスペインは1982年にNATOに加入、同年にはスペイン社会労働党 (PSOE)が政権に就き43年ぶりの左派政権が誕生している。1986年にはヨーロッパ共同体(現在の欧州連合)に加入。1992年にはバルセロナオリンピックを開催した。一方、国内問題も抱えており、スペインはバスク分離運動のETAによるテロ活動に長年悩まされている。
21世紀に入ってもスペインは欧州連合の平均を上回る経済成長を続けているが、住宅価格の高騰と貿易赤字が問題となっている。
2004年3月11日にイスラム原理主義者の犯行によるスペイン列車爆破事件が起き、多数の死傷者を出した。この対応を巡って政治問題となり右派アスナール政権が倒れ、社会労働党のサパテロ政権に代わっている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
住宅価格の高騰と貿易赤字が問題となっているようですね。
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